天然ゴムについて
ビーチサンダルの始まりはゴム園から
天然ゴムーThe History
ヒッポブルーは天然ゴム製のビーチサンダル。 アマゾンの奥地から世界中を変えた自然素材でできている。
天然ゴムはパラゴムノキ(Hevea brasiliensis)の樹液から作られる。 樹皮を傷つけると出てくるこの白い液体はアマゾンの先住民のインディオに「涙を流す木」と呼ばれていた。
大航海時代の15世紀。コロンブスの一行は西インド諸島に立ち寄った時、インディオが奇妙なボールで遊んでいるのを見つけた。そのボールは「涙を流す木」の 樹液から作られたよく弾むボールだった。
コロンブスはそのボールをヨーロッパに持ち帰ったが、その奇妙な性質を持った素材を活用するアイディアはすぐには生まれなかった。
天然ゴムが本格的に人々の生活を変えるきっかけとなったのは1839年。 チャールズ・グッドイヤー(後のタイヤメーカーの名前の由来に)が誤ってゴムを硫黄と混ぜた事から歴史が始まった。「加硫法」と呼ばれる加工法の誕生だ。この手法により、ゴムは弾力と柔軟性を増し一気に人々の生活を変える素材になった。
そもそも南アメリカ原産のこの植物。
学名のHevea brasiliensisの通りブラジルが原産だが、現在はその多くをタイを始めとする東南アジアでの栽培されている。そこには大英帝国の打算があったとか。 南米への航海の際に種子をこっそり持ち帰り、本国で研究した後、当時の植民地で気候条件が合うマレー シアで栽培をする事により外貨流出を防いだ。 東南アジアで栽培されるゴムノキの背景には、老獪な植民地政策があったのだ。
つまりは、ブラジルは大英帝国にしてやられて儲けそこなったというわけ。 マレーシアで成功したゴムノキ栽培は、やがてインドネシア、タイへと広がっていき現在に至る。
今日、世界でも有数の天然ゴム生産を誇るタイ王国。ヒッポブルー誕生の背景には熱帯雨林の恵みと人間の欲、野望を映し出した歴史がある。
天然ゴム the agriculture
タイの主要な農作物となった天然ゴム。 南部を中心に広大なゴム園が広がる。
原料であるパラノキゴムは年間平均気温が23から35°Cの温暖多湿な環境で育つ。原産地から遠く離れた東南アジアで盛んに栽培される理由は、このような最適な自然環境だ。
苗が植えられて5年程度で、樹液のラテックスを採取できるようになり、樹齢25年くらいまで排出し続ける。樹液の収量が低下すると木は伐採されるが、建材などに有効利用される。捨てるところがない木だ。
パラゴムノキは落葉広葉樹であるため、気温が下がる時期に一斉に紅葉した後、落葉する。
「一斉に黄色になるゴムノキはタイに居ながら紅葉が楽しめるんだよ。」 日本での紅葉をいつも楽しみにしているビーチサンダルメーカーの社長は、タイでのゴムノキの紅葉を楽しむのだとか。
樹液の採取は日が昇る前の早朝に行われる。 朝早い時間が一番収穫できる。 日が昇る前から農園に向かい、ゴムノキの幹に傷をつける。 そこから勢いよくでる白い樹液をカップで受けて満たしていく。午前7時頃にはカップに溜まった樹液を回収し、その後酸を加えて凝固させる。 凝固した樹液はプルプルした杏仁豆腐に弾力をつけたイメージに近い。十分に固まるとローラーで平らにされ、その後天日干しされる。
最初は真っ白だった樹液は輪ゴムのような色に変化する。十分に乾燥したのち出荷が始まる。 農場の近くにCo-opと呼ばれる農協のような組織があり、そこへ出荷されるのだ。
天然ゴム the future
天然ゴムは温室効果ガスを吸収する環境にやさしい素材。さらに環境負荷の低い素材へと進化を続けている。
一つはオーガニック栽培が進められていること。畜産、それからココナッツ栽培から出る廃棄物を堆肥にし、化学肥料に頼らない取り組みが進行している。
もう一つは混合農法の取り組み。 単一の作物を広大なプランテーションで栽培する事はその土地のバイオマスを貧弱にさせる。 そこでココナッツ、パイナップル、カシューナッツなどと一緒に栽培する事により、農園をより自然林に近い多様性をもった環境にするための試みが進んでいる。 混合農法は農家の所得の平準化し、収入の安定化にも役立っている。
私たちもこうした天然ゴムの進化とともに、これからも地球と人に優しいモノづくりを目指していきたい。